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今日くらいは戦争と平和について考える

私は山口県岩国市という町で生まれ育った。
 
広島県のすぐ隣で、広島市内へは電車でも車でも1時間くらいの場所だった。
 
岩国には「錦帯橋」という観光名所があり、
 

高校時代は毎日この橋を見ながら通っていた。

今思えば、贅沢なことだったと思う。

そして岩国には米軍基地があり、

アメリカ兵を毎日のように見かける地域でもあった。

いかんせん、広島がすぐ隣で、地元には米軍基地がある。

という環境…… 否が応でも「戦争と平和」を考えさせられる場所だった。

子どもの頃、夏休みになるとテレビでアニメ「はだしのゲン」

が放送されていて、それを見るのが当時の当たり前だった。

そして小学4年生の時の社会見学は、広島の原爆資料館。

当時の資料館には、被爆直後の人たちの姿を再現した姿の蝋人形が展示されていた。

子どもにはかなり怖いもので、泣き出す同級生も何名かいた。

原爆資料館。というと、その人形の展示を思い出すくらいだから

相当なインパクトだったんだと思う。

でも、戦争や原爆は学校で教わるだけのものでもなかった。

私の母は終戦の年、10歳だった。

当時、瀬戸内海の島に住んでいた母は、広島に原爆が落とされたあの日、

約60km離れた島から原爆のキノコ雲を見たと言っていた。

島の釣り人からは、原爆が落ちた瞬間、船の上で「熱っ」となったのだと聞かされていた。

60kmも離れた場所で、だ。

だから私にとって戦争は、ものすごく遠い昔の、教科書の中だけの出来事ではなかった。

私を産んだ母親が、実際にあのキノコ雲を見ているのだ。

たった一世代前の話だ。

そして一方で、岩国の町を歩けば普通にアメリカ兵がいる。

買い物をしていたり、家族で歩いていたり、笑っていたり。

私たちと何も変わらない、普通の人たちだった。

戦争の話の中では、日本とアメリカは「敵同士」だった。

でも、目の前を歩いているアメリカ人は別に私の敵ではない。

当たり前なんだけどね。

大人になった今なら、「国」と「そこに暮らしている人」は同じではないということが分かる。

戦争を始めるのは、国だったり、政治だったり、

もっと大きな力なのかもしれない。

でも、実際に戦場へ行くのも、家族を失うのも、家を失うのも、

結局は普通に暮らしていた人たちだ。

戦後80年を超えた。

実際に戦争を知っている人たちはめっきり少なくなってしまった。

私が子どもの頃に見た原爆資料館の蝋人形も、

現在の展示からは外されている。怖いから……なのか?

もちろん、展示のあり方にはいろいろな考え方があるのだろう。

でも、戦争を実際に経験した人がいなくなり、

その凄惨さを伝えていたものまで少しずつ目の前から消えていった時、

私たちは戦争に対する恐怖や愚かさを忘れてしまい

大きな力に導かれるまま、再び戦争へ導かれるかもしれない。

そんなことをひしひしと考えるようになったのは、

コロナ禍の経験が大きかった。

というのも

こうも、民衆はひとつの方向へ流れていってしまうものなのか……と、痛感したからだ。

嘘が大きければ大きいほど、人は信じてしまうのかもしれない。

そして「正義」という名のもとに、

暴力や誹謗中傷までが罷り通っていくことが恐ろしかった。

『自分は正しい。だから、間違っている人間は攻撃してもいい。』

そんな空気が出来上がっていくのを見ながら、

先の戦時中も、こういう流れだったのかもしれない。と感じた。

ある日突然、国民全員が戦争をしたくなったわけではなかったはずだ。

少しずつ、みんなが同じ方向を向くようになって、

違うことを言いにくくなって、本当のことを言えなくなって、

いつの間にかそれ以外の考え方をする人間の方が「おかしい」という社会になってしまったのでは?

だから、戦争は昔の人たちがやった愚かな出来事、

と簡単に片付ける気にはなれない。

人間そのものは、そんなに変わっていないと思うからだ。

小学生時代、歴史の授業で見た

まんが「日本史」というアニメがある。

時々、思い出したように配信で見返すんだけど、

縄文時代から見始めて、だいたい応仁の乱あたりから先に進まなくなる。(5話くらい)

理由は単純。その後もずーーーーっと、同じことしか起きないからだ。

「私が産んだ子供を皇子にしたい」

「あいつが許せない」

「裏切られたからやり返す」

「自分と身内だけの利権を取りたい」 ……ずっと、これの繰り返し。

時代が変わる。

偉い人が変わる。

国が変わる。

そして、人の名前だけがどんどん増えていく。

でも、やっていることは何百年、何千年経っても変わらない。

人間って、何も学ばないんだなぁ……と思ってしまう。

じゃあ、人間は何も進歩していないのか?と言われれば、

 武器の性能だけは飛躍的に進歩した_| ̄|○

刀を持って、目の前の人間と斬り合わなくてもよくなった。

相手の顔を見る必要すらない。

遠く離れた場所から、直接自分の手を汚すことなく、

会ったこともない、

名前も知らない大勢の人間を一度に殺すことができるようになった。

人間そのものは何千年経っても大して変わっていないのに、

人間を殺す技術だけは恐ろしいほど進歩した。

なんとも皮肉なことだ。

そして、さらに皮肉なことは

戦争が無くならない理由が

「愛」

だということだ。

自分の子供がかわいい。

家族を守りたい。

愛する人を守りたい。

自分の故郷を守りたい。

自分の国を守りたい。

どれも、それだけを見ればとても人間らしい「愛」だ。

日本史に出てくる「自分が産んだ子供を皇子にしたい」も

突き詰めれば我が子への愛なのかもしれない。

でも、愛するものがあるからこそ、それを傷つけた相手を許せなくなる。

もし、自分の愛する人が目の前で殺されたら

「戦争だから仕方ない」なんて、簡単に思えるはずがない。

憎い。絶対に許せない。

同じ目に遭わせてやりたい。

そう思ったとしても、その人を責めることはできない。

だって、その憎しみの根っこにあるのは、

その人を大切に思っていた「愛」なのだから。

でも、こちらには愛する人を殺された人がいて、

向こう側にも愛する人を殺された人がいる。

こちらには「絶対に許せない」があって、

向こう側にも「絶対に許せない」がある。

憎しみが報復を生み、その報復によってまた誰かの愛する人が死ぬ。

すると、その人の中に新しい憎しみが生まれる。

殺されたから、殺す。 殺したから、殺される。

事故のように連鎖し、どこかで誰かがやめなければ、永遠に終わらない。

だけど、愛する人を殺された人に、「あなたが我慢して終わらせなさい」

と言えるのか。

たぶん、そんな簡単な話ではない。

愛するものがあるから守りたい。

愛するものを奪われたから許せない。

そして、その「許せない」が、また誰かの愛するものを奪ってしまう。

戦争をなくすためには愛が必要だ、と私たちは言う。

でも、戦争がなくならない理由の中にも「愛」がある。

*******************

私は、戦争について詳しく語れる人間ではない。

政治や国際情勢について立派なことを言えるわけでもない。

そして普段から、「平和について考えながら生きています」なんて言ったら、

それも違う。毎日そんなことを考えて生きているわけじゃない。

だけど。 今日くらいは、戦争と平和について考えたい。

戦争が起きた理由とか、どっちの国が良いとか悪いとか、

どちらが先に何をしたとか、そういうことではなく。

もっともっと単純なところ。

同じ種である人間を殺す。

なぜ人間は、こんな愚行を何千年も繰り返しているんだろう。

「二度と繰り返してはいけない」と、何度も何度も言いながら。

戦争を本当に知っている人たちが

ほとんどいなくなろうとしている今だからこそ、今日くらいは、誰が正しいとか、誰が悪いとかではなく、

どうしたら、この憎しみの連鎖を終わらせることができるんだろう。

そして、人間はいつになったら同じことを繰り返さなくなるんだろう。

今日くらいは、そんなことを考える日にしたい。

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