無念で仕方なかったあの日・・・

病に倒れてからの姉は、呼吸器をつけていたので声は出ない

顔の筋肉は動いたので、口パクでコミュニケーションをとっていた

容体がかなり不安定・・・ということで

私、母、姉の夫の三人が病室に詰めていた他界する3日くらい前のこと

突然、姉が口を大きく開けて

お母さん
さようなら

と言った

次に義兄の名前を呼んで

浩一さん
さようなら

と、

そして、最後に

えりちゃん
助けて

と言って

顔を真っ赤にして、泣き始めた

・・・・・・・・

なんで?

なんで私には

助けてやねん・・・

なんで、「さようなら」じゃなくて助けてなんよ・・・

何?どいうこと?

私は姉にとって「助けてくれる」存在だったってこと?

いや、

その役目は

母や、夫に託してくれよ

なんで、私なんよ・・・なんで私なんよ・・・

そして

どうして、もっとがむしゃらに助けようとしなかったんだ!!

私が諦めてた!

西洋医学ではどうしようもできない。ってどっかで諦めてた!

どうしようどうしようどうしようどうしよう・・・

って、泣きながらその場でしゃがみ込んでしまった

その直後、ガラケーで「不思議な力を持っている」

という人を探し当て、母を説得し

その人にコンタクトを取って、無理を言って翌々日に病室に来てもらえた

そして、早速病室に案内し

摩訶不思議なことを施してもらった

何か、意味不明なことをしてくれている間は

心電図が落ち着く

その様をみて、本当に効果がある!!

もしかしたら・・・回復するかもしれないっっ

でも、その人からは

あと、一週間はやく連絡をいただけていたら・・・
できる限りはいたしますが・・・

と、言われた

そして、その夜に姉は他界してしまった

なんで、もっと早くに探さなかったんだ

なんで、諦めてしまったんだ

なんで、なんで、なんで、なんで・・・・・・

悔やんでも悔やみきれない

寂しい

辛い

悔しい・悔しい・悔しい

何より、

助けを求められてたのに、それに応えられなかった

自分が恨めしくて、恨めしくて、呪った

 

正直、どんな姿でもいいから、この世にいて欲しかった

肉片でもいいから、この世にあって欲しかった(エゴだけど・・・)

死んでしまったら、どうすることもできない

可能性が『0』になってしまった。

まだ、どんな形でも「命」があるうちは

可能性があったはずなのに・・・・

どうしようもないことをグルグルぐるぐるとずーっと考えた

そう。

死んでしまったらどうすることもできない。

その前に

病気になってからじゃあ、遅いんだよ

とも

強く思った。

姉が他界してから、もう25年が経った

四半世紀だ

それでも、まだ

この時のことを思い出すと、涙が出る

無念が故の涙だと感じる・・・

 

看護師を辞してから

色々、学ぶ中で

病気も、他界することも

どう死ぬのか?

ということすら、自分が生まれる前に決めてきた。らしい。

まあ、このことは信じるか信じないか?で大きく意味が変わってくるけど

でも、確かに

「病」が悪いわけではない。

さまざまな気づきを与えてくれる。

また

「死」も悪くない

命が限られた時間に制限されているからこそ

輝くのだ。と思うからだ

でも

でも

やはり無念で仕方ない

それは、姉が「いのち」を生き切ったと思えないからかもしれない

かくいう私も、姉より12年も長く生きたのに

「いのち」を生き切った感じはしていない。

早々に他界してしまった同胞に、あの世であった時

土産話を用意するためにも

生き切らんとね。

と、改めて思った。

皆々様も、生き切ろうね!

後悔の内容に、「今」を幸せに過ごしましょうぞ!(^^)!

応援よろしくお願いしま~す♪

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