終戦記念日に思うこと

私は、広島から約50kmの山口県岩国市というところで

生まれ育った。

そこには米軍基地があって

毎日、戦闘機が空を飛んでいる。

そんな地域だった。

戦争が終わったのがS20年

私が生まれたのがS45年

終戦後25年も経った時に生まれたわけだが

今ならわかる。

25年という月日が、思いの外あっという間だということを(^◇^;)

子供の頃に戦争の話を聞かされても

時代が変わりすぎていて

もう・・・意味わからんし・・・
うるさいなあ

くらいにしか思っていなかったけど

それでも、毎年8月になると

テレビでは「はだしのゲン」が放送されていて

8/6と8/15は黙祷することを教わった。

環境も手伝ってか、戦争と平和を意識させられる機会が多かった

初めて、原爆資料館に行ったのは小学4年生の社会見学だった

感受性の強い頃だからか

怖さに、嘔吐する生徒もいたほどだ(現在の展示は怖くない)

子供の頃にこそ、見せておいた方が良いと思う。

ドラマや映画、漫画は見たくなければ消せば良いし、閉じることができる。

でも、現実なら?

そうはいかない。

どんなに悲惨で、残酷であっても

消すことも、閉じることもできずにその悲惨な現実が続くんだから。

時代が変わったから

とか

母親に食べさせようと池のコイを盗む描写は誤解を生む

とか・・・

そんな瑣末なことはどうでもよくない?

戦争は怖くて、悲惨で残忍なのだ

ということを伝えなければ、また同じように繰り返してしまうと思う。

私が小学生の時に

教師が

都会の子供は、カブトムシが死んで動かなくなったら
お母さん。電池が切れたから交換して
って、言うんだって。
電池で動いてると思ってるみたい・・・

と、HRで話してくれたことがあった。

びっくりしすぎて、このエピソードを覚えている。

だけど、戦闘ゲームをしている人が多くなってる今

これと同じ現象になりやすくなってるような気がするんだ

ゲームなら、悲惨なシーンはない

やっつけた敵は、すぐに消えてしまうしね

そして、リセットもできるから、いくらでもやり直しができる・・・

ほんとの戦闘に参加したい

なんていう人もいるようだから、堪らない_| ̄|○

ところで、私の父方の祖父は

広島の原爆で亡くなった

と、私が30歳を超えた頃に教えてもらった。

し・・・知らんかった・・・

誰も教えてくれなかった💦

仕事で広島に出ていたらしいが、被爆した後

自力で帰ってきたらしい。(約80kもあって、山の上なのに)

その後、3日くらいで亡くなったというのだ。

当然、慰霊者名簿にも載ってはいない。

きっと、そういう人もたくさんいたはずだ。

だから、今、把握できている被曝による死者数は一部に過ぎず

実際はもっともっと多いと思う。

思えば私が子供の頃は、まだ戦争が遠くなかったんだな

今は、すっかり遠くなってしまった。

今年は、戦後78年だそうだ。

そりゃあ、遠くなったよね

でも、だからこそ近づいていく努力が必要なんだと感じる。

終戦の日を知らない日本人が増えてるようだ。

これを平和が長く続いている証拠だと喜ぶべきなのか

不穏な時代が近づいてきている証拠だと憂うべきなのか

どちらにしても

今日1日は、敵味方関係なく

愛する人を守るために戦ってくれた兵士たちに哀悼の気持ちを持って過ごしたい。

 

 

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