2020.2.13(木)
「最期まで耳は残る」は本当か?
看護短大を卒業して
救命救急センターで勤務した私
ナースのでデビューは救命救急やった
おい新人!!レート80で(一分間80のリズムで)うち続けろ!
と、しょっぱなから心臓マッサージをさせられたり💦
手術場でけちょうんけちょんにけなされて
泣きそうになってたんやろな
泣くなよ!お前の涙は不潔やぞ!分かってんのか!!
と、一括されたり・・・
いや~
鍛えられたぁぁ
そんな、救急の現場も
事故なんかがなければ、だれも来ない(良きことよ)
そして、どんなに忙しくても
外来の業務もあったりする
その、外来受信に来たひとりの男性患者さんが
その後の看護師人生に大きく影響を与えたぁぁ
というのも、その日は外来の部屋に空きがなく
点滴をするよう指示されたんやけど
場所がなかったもんで、救急車が最初に到着したときの治療する部屋
「初療室」
に、お通しした。
すると
看護婦さん!ここは、わしが最初に連れてこられた場所ちがいますか?
と、大きな声で聞いてくる。
そうですね。救急車で運びこまれる診察室なので・・・
と答えると
いや~。ですよねぇ。覚えてるわ~。
わし、あそこから全部見てましてん
と、天井の隅っこを指さした
というのも、この男性
運び込まれたときは心肺停止状態
いわば、死体状態で運び込まれていた・・・・・・・
その後、点滴をはじめてしばらくは
いや~。先生も看護婦さんもテキパキとすごいですな~
あれでっか?
検査室も隣でっか?検査の人も手際よくね~
検査結果を読みはるんですな~
レントゲン室も隣すか?
そうですわ~。覚えてますもんetc・・・
結局、この患者さん
CT室から手術室まで運ばれている途中まで
上からずっと自分を見下ろしてたみたいで
次に記憶があるのはICUだったそうな
さて
看護学生時代から
ご遺体を最後に清めるときには
必ず「声をかける」ように指導をうけていた私
看護師になってもやはり、先輩からそのように指導された。
ご遺体にたいしての尊厳を守るように・・・とも
耳は最期まで残っているから、意識がなくなっても
亡くなっても、聞こえているからね・・・
というものだった。
なにが、聞こえてるやねーーん!
見られてるやないかーーいっっ
いかんせん、最期なもんで
やり直しもできないし、弁解もできない
この経験から以降
見られてるわ~
と、思いながらご遺体に寄り添うようになりましたとさ
危篤になられた患者様のご家族が不用意に
「もうあかんな・・・」
なんて、言おうもんなら飛んでって
最期まで耳は残っていますから、楽しかった思い出話なんかをしてあげてください。
聞きなれた声が、近くにあると安心されますから
と、注意していた
さすがに、幽体離脱の話はせえへんかったけどな
というわけで、みなさま
お気をつけあそばせね~~
あちらに逝った時に
「おまえ、あんなこと言うてたやろ!」
と恨み言を言われちゃうかもやからぁ(笑)
ではでは
今宵も素敵な「今」をお過ごしくださいね(^-^)/
あなたの手のひらが、大切な人や家族の健康を守る手のひらに・・・
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