「最期まで耳は残る」は本当か?

看護短大を卒業して

救命救急センターで勤務した私

ナースのでデビューは救命救急やった

 

おい新人!!レート80で(一分間80のリズムで)うち続けろ!

と、しょっぱなから心臓マッサージをさせられたり💦

手術場でけちょうんけちょんにけなされて

泣きそうになってたんやろな

泣くなよ!お前の涙は不潔やぞ!分かってんのか!!

と、一括されたり・・・

いや~

鍛えられたぁぁ

そんな、救急の現場も

事故なんかがなければ、だれも来ない(良きことよ)

そして、どんなに忙しくても

外来の業務もあったりする

その、外来受信に来たひとりの男性患者さんが

その後の看護師人生に大きく影響を与えたぁぁ

というのも、その日は外来の部屋に空きがなく

点滴をするよう指示されたんやけど

場所がなかったもんで、救急車が最初に到着したときの治療する部屋

「初療室」

に、お通しした。

すると

看護婦さん!ここは、わしが最初に連れてこられた場所ちがいますか?

と、大きな声で聞いてくる。

そうですね。救急車で運びこまれる診察室なので・・・

と答えると

いや~。ですよねぇ。覚えてるわ~。
わし、あそこから全部見てましてん

と、天井の隅っこを指さした

というのも、この男性

運び込まれたときは心肺停止状態

いわば、死体状態で運び込まれていた・・・・・・・

その後、点滴をはじめてしばらくは

いや~。先生も看護婦さんもテキパキとすごいですな~
あれでっか?
検査室も隣でっか?検査の人も手際よくね~
検査結果を読みはるんですな~
レントゲン室も隣すか?
そうですわ~。覚えてますもんetc・・・

結局、この患者さん

CT室から手術室まで運ばれている途中まで

上からずっと自分を見下ろしてたみたいで

次に記憶があるのはICUだったそうな

さて

看護学生時代から

ご遺体を最後に清めるときには

必ず「声をかける」ように指導をうけていた私

看護師になってもやはり、先輩からそのように指導された。

ご遺体にたいしての尊厳を守るように・・・とも

耳は最期まで残っているから、意識がなくなっても

亡くなっても、聞こえているからね・・・

というものだった。

なにが、聞こえてるやねーーん!

見られてるやないかーーいっっ

いかんせん、最期なもんで

やり直しもできないし、弁解もできない

この経験から以降

見られてるわ~

と、思いながらご遺体に寄り添うようになりましたとさ

危篤になられた患者様のご家族が不用意に

「もうあかんな・・・」

なんて、言おうもんなら飛んでって

最期まで耳は残っていますから、楽しかった思い出話なんかをしてあげてください。
聞きなれた声が、近くにあると安心されますから

と、注意していた

さすがに、幽体離脱の話はせえへんかったけどな

というわけで、みなさま

お気をつけあそばせね~~

あちらに逝った時に

「おまえ、あんなこと言うてたやろ!」

と恨み言を言われちゃうかもやからぁ(笑)

ではでは

今宵も素敵な「今」をお過ごしくださいね(^-^)/

 

応援よろしくお願いしま~す♪

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