2022.11.5(土)
父
私は父と一緒に暮らしたことがない
物心がついた頃には、月に一度やってくる
面白い禿げちゃびんのおっさん。
どうやら、このたまに訪れるおっさんが
「おとうさん」
と、いう人らしい・・・
みたいな感覚だった。
なので、小学生になって土曜日に友人の家に行った時に
彼女のお父さんが自宅にいるのを見て
びっくり!!!(◎_◎;)
したのを今でも覚えている。
帰宅して、母に
〇〇ちゃんのお父さんは毎日家にいるんだって!!
と、報告するほど衝撃なことだった。
子供の頃って、自分家が全てやもんな。
ま、大人になってからも範囲が少し広がっただけやけど(^^;)
で、その父だが
帰ってくると、私をあぐらをかいた膝の上に乗せて晩酌をするんだ。
瀬戸内海の小さな島で石材加工店を営んでいた父は
目の前が海!
という、最高のロケーションだったため
潮が良ければ、仕事の手を休めて釣りに出ていた。
だから、いつも魚を持って帰ってきてくれる
えりちゃん。
魚で一番美味しいのは目の周りとほっぺたの肉よ
食べてみんさい
と、膝の上の私に食べさせてくれた。
なんなら、ビールも日本酒も飲ませてもらった。
ま、いうても一口だけやけど、昭和って緩い時代だったよね(^^;)
晩年の数年間、大阪に拉致してグループホームに入居したが
生涯、会った数は数えられるほど(^^;)
なんせ、子供の頃は月に1度
中学生になってからは年に2〜3度
大学で大阪に来てからは年1も会っていない。
母からは幼少の頃から父の悪口を聞かされていたので
物の分別がつくようになってからは
父=悪者
みたいな構図になっていた。
いや〜。憎んだわあ
母親が不幸なのは、全てこのおっさんのせいだ!
と、思っていたからね
だけどさ
自分が歳をとって、恋愛をするようになると
ん?おとんだけが悪い訳じゃなくね?
どっこいじゃね?
とか
いや、おとんって実は良い人じゃね?
優しいし、飲まない、打たない、買わない。
仕事もしてるし、ヒモなわけでもない。
暴力振るうこともない・・・
旦那としては一等亭主といえるかもしらん
結局、オトンもおかんも子供の頃があって
生きてきた時代・社会の影響を受けて人格形成してる。
ってことか。
オカンの価値観とオトンの価値観が異なってただけで
その価値観に歩み寄ろうとしなかっただけかぁ
子供の思考➡︎女性の思考➡︎大人の思考
と、変化した。
すると、憎んでたことがアホらしくなった。
というわけで、オトンの晩年は仲良し親子になれた
きっと10年くらいやな。
オトンの愛情を知ることができたのは・・・
でも、気がつけて良かったよ
両親から絶縁宣言されてたからね
下手したら、一生顔を見ることもなかったかもしらん
親不孝しまくったけど
最期を看取ることができたことだけが、孝行だったな
私にできた唯一の親孝行だ(^^;)
あなたの手のひらが、大切な人や家族の健康を守る手のひらに・・・
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