2019.7.15(月)
16年間絶縁してた母と仲直りできた訳(長文)
割と波乱万丈な人生の私・・・(^^;)
かんなり厳しめの母親に育てられた。
どのくらい厳しいか?と言うと
小学1年生の時に、男子生徒からいじめられるのが嫌で
登校拒否を必死こいて決行した!
んやけど
一度も成功できず(>_<)
6・3・3の12年間、無遅刻無欠席という✨✨
んなこたあ、どうでもいい(笑)
で、その小1の時
歩くのをやめれば行かなくてすむ!
と、無い知恵を絞ったある日
ランドセルに教科書を詰める母親を横目で見ながら
『私は、歩かない!歩かない!歩かない!』
と、念仏のように心の中で呟いてたけど
そこは、小学一年生
今は、こんなに大きな私も、まだ小さかったから
ひょいっ
と、抱えられて玄関外に連れ出された
そこで
電信柱に、セミのようにくっついた!!
すると、すかさず母は
セミと化した私を
ベリッと剥がしたぁぁ
そして、歩くことをしない。
なんなら立位にすらならない私の首根っこを掴み
ずるずるずる・・・・・と
他の児童が登校している通学路まで引きずって行ったのだったぁぁ(–;)
さらに、通学している高学年と思われる女の子2人組に声をかける
ちょっと!そこのお嬢ちゃん。この子を1年2組まで連れて行ってくれる?
と、頼んだのだ・・・
そう
母は、決して自分では連れて行かない!!!
なんとしてでも、自分では連れて行かない。
ついでに、熱を出しても学校を休んではならない
40度の熱でもだ!
登校後に、先生から
顔が赤いから、保健室に行きなさい。
と言われる
そして、
お熱があるから、帰りなさい。お母さん呼ぶ?
と、言われるのだ
しかし、貧乏なもんだから
母は、パートに出て不在なんでいつも1人で帰宅した。
途中で、かかりつけ医に寄って受診し、薬をもらう。
家に着いたら布団を敷いて、寝る
という、なんとも自立した子供だった・・・ように思う
クラスの女子全員からオール無視されたときも
毎日、泣いている私に母は宣った
あんたに悪いところがあるからよ!
悪いところがなければいじめられるはずないじゃろうがね!!
泣きんさんな!!!
と・・・
当時は辛かったぁぁぁ
誰も、味方になってくれる人がいないぃぃ・・・(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
だけど
今になって思うのは
あそこで優しくされたら
私は、きっと安全な家から出られなくなっただろう
優しくしてくれる母の元から離れることができなかっただろう・・・
と
今では信じられない!
と、言われるけど
子供の頃は、弱くて弱くて、泣き虫で泣き虫で・・・
今、自分自身が子供の頃の自分に出会ったら
そんなに弱くちゃ生きていけないよ!
と、伝えたいくらいだ(笑)
だから、厳しくしてくれたことに心底、感謝する
泣いて、泣いてた毎日ではあったけど
まあ。
飽きるね・・・(笑)
四角四面な母
非常〜〜〜に常識人な母
はみ出し気味の私には、ハラハラさせられたことだろう
やることなす事、自分の常識外なもんだから
嫌だったに違いない・・・
なのに、私ったらば
16歳も年上の
バツ2で4人の子持ちの男と結婚する!
と、言い出すわ
その男のために借金はこさえてるわ
妊娠して流産して、DVで毎日ボコられて
挙げ句の果てに半殺しにあって、夜逃げして・・・・って
よっぽど呆れ返ったはずだ
さらに、その後
ありもしない投資話に乗っかり
人生を立て直すために母が用意してくれたお金を失ってしまう・・・
という
よくある話
の顛末になってしまった時に
堪忍袋の緒が切れたんだな
もう、あんたとは親子でもなんでもない
2度と顔を見せんさんな!!
と、絶縁宣言されてしまった
それが18年前のこと・・・
親戚からも、あまりにも母が怒ってるから
一切の連絡をするな
と、念押しされるほどやったのに
2年前、母が認知症になって
それに叔母が振り回されてしまう毎日になったようで
とうとう
お母さんに、電話してみんさい!!
と、叔母から連絡が入った
え?
え?
電話??
此の期に及んで??
私、母が死んでも帰郷しないでいようと心に決めてたのに?
だ・大丈夫なんか?
と、思いつつ
叔母からそう言われたので
若干、震えながら16年ぶりに実家に電話した・・・
すると
えりちゃん?
まあまあまあ
珍しいじゃないの!
と、普通やった・・・(^^;)
そこからは、時々電話をするようになった
そして、とうとう昨年の春に
母が入所している老人ホームに会いに行った!
18年ぶりの再会っす!!
なして、そんなに肥えたんかね?
と、開口1番に言われた(笑)
昔は、太っていることが堪らなくコンプレックスだったし
最後に会った時も
まあ、そんなに太ってよく恥ずかしげもなく外を歩けるね
と、言われたこともあって
絶縁を言われても
清々するわ!!
くらいに思ってた・・・
死んでも会わない
そう思ってたのに
時間というのは、本当に優しい・・・
そして、有り難いのは
死んでも会わない!
という、意地を張らなくなってた時に
まだ母が健在であったことだ
よく
『親孝行 したい時には親はなし』
というけどさ
ほんとだよね・・・
親孝行なんて、そんな大層なことはできそうにないけど
唯一できるかもしれない親孝行は
『私が幸せでいる』
ことだ
5人産んだ子供たちの4人が他界してしまった
子供を見送らなければならなかったことは
地獄でしかなかったはず・・・
それでも
母は、私と話をするたびに
子供がおらんのが寂しいよねえ
と言う。
4人を看取り、唯一生存している私とは絶縁・・・っていう人生なのに
それでも
子供がいた方が良い
って、思っている・・・というのに驚いた
けど
嬉しくもあった。
今年も、GWに会いに行ってきた
元気すぎるほど元気やった(笑)
さて
仲直りするきっかけは
母の『認知症』やった
だけど
電話をする気になったのは私
なぜ、その気になったか?
というと
私は母から嫌われている
産んだことを後悔しているに違いない
と、思っていた。
だけど
そんなことは、どうでも良い
と、思えるようになってたんだよね・・・
人というのは面白いもんで
どうしても、他人の目を気にして生きている。
「自分が必要とされている」
と、思いたい。
「嫌われたくない。」
それが、心理学でいうところの
『承認欲求』だ
最大に承認して欲しいのは
当然、
『母親』
だからこそ
母から嫌われていると思っていたことがとても辛かったんやな
意地を張って平気なふりをしてたのを止めた時
母は私を嫌ってないし、恨んでない。
ただ、幸せになって欲しかっただけだ・・・と思えた。
母の想像する『幸せ』は常識の中にあったから
はみ出した私が、不幸になる・・・って思えただけなんじゃね?
「否定」してたんじゃなくて
「心配」してたんじゃね?
と、思えるようになった。
ら、今までのいろんなことが腑に落ちた。
なんだ・・・
嫌われてたんじゃなかったんだぁぁ
と、思えた時には
母からも
たまには顔を見せに来んさい
と、言われるようになっていた。
そんなに太って恥ずかしくないのか?
と言われてから
さらに大きくなってる私(笑)
また、
みっともない
と言われちゃうぅぅ
とは思ったものの
ま、それもどうでも良い
と、思えたんだよね〜(笑)
どうでも良い
と、思えると
何を言われても、なんとも思わない・・・という(笑)
こんな日が来るなんて・・・
18年前は思いもしなかった
生きてるとこんな瞬間も訪れるんだね〜❤
『悩み』
とは、ただの自分の思い込み(^^;)
ということを知ると、生きやすいよ〜
ってわけで
長文失礼しましたーーーーっ!
どうせ、思い込むなら
幸せな思い込みで毎日過ごしたいね
そして、素敵な「今」を過ごしましょね〜(^^)/
あなたの手のひらが、大切な人や家族の健康を守る手のひらに・・・
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