私は父と一緒に暮らしたことがない

物心がついた頃には、月に一度やってくる

面白い禿げちゃびんのおっさん。

どうやら、このたまに訪れるおっさんが

「おとうさん」

と、いう人らしい・・・

みたいな感覚だった。

なので、小学生になって土曜日に友人の家に行った時に

彼女のお父さんが自宅にいるのを見て

びっくり!!!(◎_◎;)

したのを今でも覚えている。

帰宅して、母に

〇〇ちゃんのお父さんは毎日家にいるんだって!!

と、報告するほど衝撃なことだった。

子供の頃って、自分家が全てやもんな。

ま、大人になってからも範囲が少し広がっただけやけど(^^;)

で、その父だが

帰ってくると、私をあぐらをかいた膝の上に乗せて晩酌をするんだ。

瀬戸内海の小さな島で石材加工店を営んでいた父は

目の前が海!

という、最高のロケーションだったため

潮が良ければ、仕事の手を休めて釣りに出ていた。

だから、いつも魚を持って帰ってきてくれる

えりちゃん。
魚で一番美味しいのは目の周りとほっぺたの肉よ
食べてみんさい

と、膝の上の私に食べさせてくれた。

なんなら、ビールも日本酒も飲ませてもらった。

ま、いうても一口だけやけど、昭和って緩い時代だったよね(^^;)

晩年の数年間、大阪に拉致してグループホームに入居したが

生涯、会った数は数えられるほど(^^;)

なんせ、子供の頃は月に1度

中学生になってからは年に2〜3度

大学で大阪に来てからは年1も会っていない。

母からは幼少の頃から父の悪口を聞かされていたので

物の分別がつくようになってからは

父=悪者

みたいな構図になっていた。

いや〜。憎んだわあ

母親が不幸なのは、全てこのおっさんのせいだ!

と、思っていたからね

だけどさ

自分が歳をとって、恋愛をするようになると

ん?おとんだけが悪い訳じゃなくね?
どっこいじゃね?

とか

いや、おとんって実は良い人じゃね?
優しいし、飲まない、打たない、買わない。
仕事もしてるし、ヒモなわけでもない。
暴力振るうこともない・・・
旦那としては一等亭主といえるかもしらん

結局、オトンもおかんも子供の頃があって
生きてきた時代・社会の影響を受けて人格形成してる。
ってことか。
オカンの価値観とオトンの価値観が異なってただけで
その価値観に歩み寄ろうとしなかっただけかぁ

子供の思考➡︎女性の思考➡︎大人の思考

と、変化した。

すると、憎んでたことがアホらしくなった。

というわけで、オトンの晩年は仲良し親子になれた

きっと10年くらいやな。

オトンの愛情を知ることができたのは・・・

でも、気がつけて良かったよ

両親から絶縁宣言されてたからね

下手したら、一生顔を見ることもなかったかもしらん

親不孝しまくったけど

最期を看取ることができたことだけが、孝行だったな

私にできた唯一の親孝行だ(^^;)

 

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