2019.1.12(土)
愛する人を亡くしたことのある方へ・・・
昨年末に、同い年の知人であり
尊敬していた整骨院の院長が急に
本当に急に他界した・・・
誰よりも健康だと思っていたのに
にわかに信じられなくて
頭が真っ白になった。
48歳
奥様も、お子さんもいらっしゃる
今年は本の出版の予定もあった。
いつものように、「おやすみ」と言って就寝し
朝、起きてこなかった。らしい。
訃報を聞いた時、頭が真っ白になった
は??意味がわからん
私、昨年末はギリギリまで仕事をしてて
通夜・葬儀ともに出席できず
彼に会ってないから?余計に実感が湧かないのかもしれない
一家の大黒柱であり、最愛の父だったり夫だった彼が
ある日、突然いなくなった・・・
ご家族の喪失感、悲しみの深さを思うと堪らない
何を言っても陳腐にしかならない・・・
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かくいう私自身のことを言えば
5人兄弟の末っ子の私
私以外の同胞は全て死去している。
すぐ上の兄が3歳で交通事故(私が生まれる前)
すぐ上の姉は重度の脳性麻痺で15歳の時に他界
生後1週間で亡くなった姉もいた(私が生まれる前)
私をほぼ育ててくれた長女は、40歳の時にガンで他界した
脳性麻痺のその子を見て育った長女の姉が看護師に
その姿を見て育った私も、自然と看護師の道へ進んだ。
脳性麻痺の姉が他界した時、私は小学4年生の時で
その姉の死が「人生で初めての看取り」だった
母が錯乱して、錯乱して、錯乱して・・・
私が誰なのか?も分からなくなった母を見て
正直、怖かった。
「死」自体も恐怖であったと思うが
それ以上に
1人の「死」が周りに及ぼす影響の大きさの方が恐怖だったんだと
今になって思う。
いつも毅然として強い母が
文字通り
「壊れた」
のだ
母の悔しさ、悲しさ、寂しさ、怒りは
時と共に、薄紙をはがす程度には薄れていただろうが
私が高校を卒業して、実家を離れるまでの8年間
時々、母はその日の夢を見るようで
うなされて、涙を流していた・・・
当時の私は、その姿を見るのが何より辛かった。
その姿を見るのが嫌だったっていうのも、実家を出る理由の1つだった
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時は流れて
私が28歳の時
ほぼ私を育ててくれた
看護師の道を作ってくれた
姉が癌で亡くなった
彼女の息子(私にとったら甥っ子)15歳から
エリちゃん。もうそんなに泣きな・・・
と、なだめられるほど涙が止まらなかった
拭っても拭っても
次から次へと涙がこぼれてしまう。
止めようと思っても止まらないんだ。
あぁ・・・とめどないって、こういうことなんやな。
と、思うほどに涙が止まらなかった。
悲しい・・・というより
当時は悔しくて、悔しくてたまらなかった
怒りもあった
どうして、姉が亡くならなきゃならないんだ!
まだ若いじゃないか!
子供もいるんだぞ!
30歳で国立病院の婦長になるほど優秀なんだぞ!
なんで、姉がこんなに若くに死ななきゃならないんだ!!
到底、答えの出ない疑問をずっと天にぶつけていたように思う
看護師になってすぐに勤務した救命救急センターで
【あぁ・・・人の死は決まってるんだな・・・】
と、感じていた私が!だ。
理解しているのと
感情は別物なんだよね・・・
その後は
強がって、平気なふりをしてはいたけど
心が完全に壊れてたと思う。
糸の切れた凧のようだったんじゃないかな・・・
相談事は、すべて姉にしていたので
頼る人が居なくなった。
私の世界には誰も居ないような虚無感と
今後、どうしていいのか分からない不安が
ずっと、ずっと絡みついてたように思う。
正直、立ち直るのに8年くらい掛かった(–;)
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だけど、同じ愛する人の「死」でも
笑顔で見送れる場合もある
それは
「寿命を全うした時」だ
昨年4月に、父が他界した
わしの人生なんじゃから、わしの好きに生きて何が悪い!!
と、豪語していた父だった。
いや・・・
良く生き
良く死んだ
寂しくないのか?
悲しくないのか?
と、問われると
寂しくない訳ではないけど
父は「生き切った」感じがしたんだよね
苦労もたくさんしたけど、本人の言う通り
生きたいように、生きた人だった
臨終にも間に合って、看取ることができたのは
今まで、子供を看取るしかなかった父に対して
「親孝行」のようにも思えた
泣きはしたが、
それは本当にただ「寂しさ」の涙で
姉の時のような、慟哭ではなかった
愛する人を失わない人はいない
人は必ず死ぬ
ただ、いつ死ぬか?が分からないだけだ
看護師をして
数え切れないほどの臨終に立ち会った
ドクターと違うのは
看護師という職業は、本人とともに
家族にも寄り添うことが多い
ということだ。
患者さんご本人が亡くなる前後の家族の状態も知っている
先に書いたように
「死」が与える大きな影響を見てきたとも言える
だからこそ、言いたい
あなたには、寿命を全うして欲しいんだ!
やり残しのない、後悔のない人生を歩んで頂きたい
そうすれば、あなたが旅立つ時
あなたの周囲の方に、恐怖を覚えるほどの影響はないはずだ
できれば
よう生きた。よう生きた
と、声をかけてもらいたいじゃない?
多分・・・
多分ね、もうこの世の中には
あらゆる病気を治す方法が存在してるんじゃないかと思う(感じる)
ただ、公表されてないし
使われてていないだけ(残念やけど、病はお金儲けになるからね)
昨年、夏に見知った機械は
今後、病気にならなくて済むんじゃないか?というような物だった
病気になっていても、もしかしたら治療効果まであるかもしれない
そんな代物だった
11月に入手して
来店しているお客様にはちょっとずつ、伝えて
使って、非常に喜ばれてもいる。
だから、今年に入ったら本格的にメニューにしようと思っていた
今回、私の後悔は
こんな物が、世の中にはあるんだよ!
と、発信していなかったことだ。
彼が、もし私の発信を見たって
連絡はなかったかもしれない
だけど、もしかしたら連絡があって、利用したかもしれない。
そう、後悔先に立たず・・・だ
本当は、そんなことを全部含めて
人の「死」は決まっている。
だけど、私がこの機械を手に入れた。
だとしたら、私と縁のある人は
もしかしたら、病気にならなくても良い人たちかもしれない
「病」が悪いわけでも
「死」が悪いわけでもない
ないけど、
でも・・・
私は、抗いたい!
私は、痛みを持ったまま生活をする苦しさを知っている
私は、病を持った生活、病人を抱えた家族の苦悩を知っている
だから、少しでもそんな人たちのお役に立てるのであれば
役立ちたい!!
年末年始・・・
ちょっと思考が停止していたんだけど
やはり、私は
単なる「美容」のサロンがしたい訳ではなく
「死」が来るまでの時間を美しく輝かすお役立ちサロンがしたいんじゃぁぁ!!
と、強く思った
奇しくも、今年は
店をオープンして10周年
気持ちを一新して
店を始めた理由も「予防医学」で始めたんだから
初心に戻ってがんばろう!と決意した。
共感していただける方のご来店をお待ちしてますねっ
いなければ、辞めますわ(笑)
ではでは
長文お付き合い頂きありがとうございました。
よく生きるために
素敵な「いま」をお過ごしくださいっ!(^^)!
(機械の情報は、次回にでも書きますね!)
あなたの手のひらが、大切な人や家族の健康を守る手のひらに・・・
免疫アップ看護師サロン【asante(アサンテ)】
大阪市城東区関目5丁目2-2 田中ビル1号館605
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